文化財産
湯滝の燈篭草津温泉ならでは、まさに温泉の畑とも見える湯畑。その流れ落ちる滝の流れを遥か江戸時代・文政13年(西暦1830年)から見下ろすようにたっているのが湯滝の燈篭。
将軍御汲上の湯枠湯畑の源泉の中に、四角に組まれた木の枠が沈んでいる。この木枠の中の湯を「御汲上の湯」と呼んでいる。
頼朝宮湯畑を背に、西の石段に向かって程無く、瓦屋根の舞台が見える。これが、源頼朝ゆかりの源泉、その名も源氏の旗印・白旗に因んだ白旗源泉である。この中に石造りの祠があり、名を頼朝宮という。
鬼の相撲場碑この狂歌、読み人知らず。文政6年(1823)江戸の戯作者十返舎一九が出版した「上州草津温泉往来」の<当所名勝>の中に「天狗山微雨の夜、山上に火を燃すことその数おびただし。鬼の角力場、土俵の形おのずから石ならびてその名となる」と書いてある。むかしから西の河原公園一帯を「鬼の泉水」と呼んできた。
山媛呼の碑冬ともなれば、多くのスキーヤーで賑わう白根火山ロープウェイの山麓駅前に建っている。遠く日本武尊の伝説を伝える碑である。
泣き灯籠温泉がまだ湯治中心の長逗留であった頃、この場所まで宿の女中や他の浴客に見送られ帰途に着く者が、別れを惜しんだ場所として、この名が伝えられる。
十返舎一九碑湯畑の北側、白根神社のすぐ隣、囲山公園の緑の中にほのぼのとした、旅人の絵をあしらった碑がある。
水原秋桜子碑ベルツ博士胸像の傍らに建つ句碑
小林一茶句碑湯畑から光泉寺に続く階段の途中に湯善堂があり、そのすぐ隣に月を象った碑が見える、これが小林一茶の句碑である。
平井晩村碑晩村は草津独自の時間湯を見物し、湯もみの拍子に合う唄をということで、「草津よいとこ」で始まる2つの唄をつくりました。
高村光太郎碑囲山公園に、原稿用紙に直筆で書かれた形で刻まれています。
鬼の茶釜碑名勝西の河原公園を東から入るとまもなく、湧き出す温泉の池のほとりに恐ろしくも愛矯を感じさせる鬼の姿を刻んだ碑がある。
ベルツ碑西の河原公園の中ほど、小高くなった所に、温泉客を見守るように、2体の胸像が立っている。左がベルツ博士、右がスクリバ博士。その右に立つ大きな石板がベルツ碑である。
斎藤茂吉碑西の河原公園の中ほど、あずまやから石段を上がる右手に碑は建っている。
草津山光泉寺湯畑源泉を見下ろす高台にある真言宗豊山派の古刹。僧行基によって開山されたと伝えている。本堂のほか薬師堂、釈迦堂、不動堂、稲荷社、鐘楼、湯善堂などがある。寺宝には関白近衛龍山公直筆の法楽の和歌一巻、温泉来由記、日月堂縁起があり、釈迦堂の本尊は奈良東大寺の大仏の骨木をもって制作されたと伝えている。
日晃寺安政4年(1857年)草津祖師堂が建立
白根神社周辺の囲山公園では例年4月下旬頃から5月上旬頃にかけて“アズマシャクナゲ”が見頃を迎える。
熱乃湯草津名物「湯もみと踊り」がショーとして見られる施設。
湯畑ライティング湯畑のライティングが2016年12月より一新しました。
湯路広場湯路広場で温泉情緒を堪能。湯畑の魅力を再発見!
草津 温泉らくご草津温泉熱乃湯 毎晩8時の落語会