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縁のある人物・都市

縁のある人物

草津に歩みし百人

古代・戦国・江戸時代

01.日本武尊:武勇で名を馳せた、古代伝説・最大の英雄。

日本武尊が草津を訪れたのは、東国征伐の帰途だと伝えられています。
草津周辺の山々や里を歩くうちに、谷間にもうもうと立ちのぼる湯煙を見つけました。
日本武尊は湯気の上がる傍の石に腰を下ろし、湯につかったと言われ、この逸話が日本武尊の草津開湯伝説になっています。座った石は後に御座石(ございし)と名づけられました。

02.源頼朝:武家社会の扉を開いた、鎌倉幕府の創立者。

草津の開湯伝説の一つに、源頼朝に関するものがあります。
建久4(1193)年に浅間山の麓で、四方を取り囲んで獲物を追い込む巻狩りを行ったとき、草津にも足をのばし、湯を発見したと伝えられています。この話は、すでに江戸時代の三原野狩関係の記事に記載されています。

03.木曾義仲:平家を連破。破竹の勢いから「朝日将軍」の異名も。

04.長尾為景:守護代から国政を手にした、中世越後の雄。

05.巴御前:義仲軍に巴あり。戦場で輝いた、源平の世のヒロイン。

06.丹羽長秀:信長の天下統一を支えた、織田家随一の名将。

07.堀秀政:織田家中に聞こえた切れ者。のち、秀吉の知恵袋に。

08.朝日姫:政略結婚の悲劇で語り継がれる、秀吉の妹。

09.近衛龍山:諸大名に従き、乱世を生き抜いた公家。

10.豊臣秀次:伯父・秀吉を継いで関白に。趣味人としても多才。

11.大谷吉継:石田三成との契り固く、関ヶ原に散った吏僚派の将

12.前田利家:五大老の一人。秀吉とは武家屋敷住まい以来の間柄。

利家が草津で湯治をした事実は、戦前まで歴史の中に埋もれていました。
慶長3(1598)年、隠居して身軽になった利家は、健康を回復するために、天下の名湯・草津へ向かったのです。
その一行には、謡曲師や楽師もふくまれており、盛大な来草となりました。「加賀百万石」といわれた前田家の経済力を伝えるエピソードです。

13.清河八郎:文武に秀で、のちの「新撰組」の基礎を築いた志士。

14.行基菩薩:全国を行脚し、各地で布教。初の日本地図作成も。

草津の薬師堂を守る光泉寺に、「温泉奇功記」という書物があります。
その由来記によると、奈良時代の僧、行基が各地で布教活動を行ううちに山深い草津にいたると、ことごとく霊気にあふれた中でも特に仁恵の気をふくんでいるところがありました。
行基が祈祷すると、そこから温泉が湧き出したということです。

15.蓮如上人:本願寺第8世宗主。浄土真宗中興の祖。

16.飯尾宗祇:北野連歌会奉行などで名を上げた、当代随一の連歌師。

17.小林一茶:「一茶風」。旅に生き、独特の俳風を確立。

生活派俳人として有名な一茶は、草津の旅を紀行文『草津道の記』に著しています。
その中に、「湯けむりに ふすぼりもせぬ 月の貎」という草津の雅趣を詠んだ句があり、光泉寺・階段下の句碑に刻まれています。
一茶は、当時草津で旅籠を営み俳人でもあった黒岩鷺白と親交が深く、その縁あってか、何度か来草しています。

18.十返舎一九:「弥次北珍道中」でお馴染みの作家。名コンビは、草津でも膝栗毛。

劇作者・一九は、文政年間に二度来草。その時の思い出は『上州草津温泉道中・続膝栗毛第十篇』『方言修行善光寺草津温泉道中金草鞋』などの作品に、独特の洒脱な文章で描かれています。
囲山公園沿いの石碑には『上州草津温泉道中~』の一節が刻まれています。
また、一九の文章からは、「近世・草津の黄金時代」と形容された江戸晩期の賑わいぶりがうかがえます。

19.清水浜臣:国学、短歌、医学。広く学問を修めた、江戸後期の俊秀。

20.良寛和尚:子ども、動物を愛し、芸才に優れた「手まり上人」。

21.高野長英:シーボルト、華山に学んだ思想家。蛮社の獄で弾圧。

長英と群馬県は深い関係にあり、数多くの門人と交友がありましたが、「いつ草津に訪れたか」を示す資料は少なく、白根へ登る途中の“毒水沢”の言い伝えのみが、長英と草津のつながりを物語っています。
それは「彼が立ち寄った際に沢の水を分析し、毒が含まれていたので『この水飲むべからず』と碑に刻んで、旅人の危害を防いだ」というものです。

22.安積艮斎:昌平坂学問所教授も務めた、江戸の儒学者。

23.田川鳳朗:江戸後期の俳諧人気を支えた、「天保三宗匠」の一人。

24.佐久間象山:公武合体、開国に奔走。幕末が生んだ俊才。

25.藤田東湖:徳川斉昭らとともに尊王を唱えた、水戸学界の権威。

26.堀秀成:武士から転身。言葉に魅せられ、“音”に関する分野を大成。