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縁のある人物・都市

縁のある人物

草津に歩みし百人

明治・大正時代

27.E.V.ベルツ:高温質、時間湯の効能を世界に発表。「明治国家」と「草津」の発展に貢献。

ベルツ博士は、近代医学の父といわれています。
草津温泉の特異な泉質、時間湯、美しい自然に魅せられ、度々来草し、優れた湯治効果を研究。
効能ゆたかな Kusatsuの名を国内外に広めました。「土地を購入して理想的な温泉郷を形成しよう」と思い描いていたことからも、その執心ぶりがうかがえます。
西の河原公園には、ベルツの功績を讃えた碑が建てられています。

28.ベルツ 花:夫の偉業を支え、日本とドイツ、交流の架け橋に。

29.J.スクリバ:ベルツとともに、日本医学界に尽くした“お雇い医師”

30.E.ナウマン:フォッサマグナ、ナウマン像。マルチに活躍した地質学者。

31.A.E.ノルデンショルド:スウェーデンの探検家。“ヴェガ号”に乗り込み、未踏の地へ。

32.松浦武四郎:蝦夷地を踏破。アイヌの現状を訴えた探検家。

33.C.リー:布教と、らい病治療に身を捧げた、英国女史。

34.大槻文彦:『言海』を編集。大正、昭和の国語辞典の基礎に。

35.徳富蘇峰:明治の思想家。清新な論旨が若者の心をつかむ。

36.田山花袋:館林生まれ。『蒲団』『田舎教師』は自然主義文学の金字塔。

37.志賀直哉:不朽の名作数多く、“小説の神様”と称された白樺派作家。

直哉は、草津へ3回訪れています。
最初は、学生時代の貧乏旅行。二度目は文名も売れ出した大正11年でしたが、直哉の名を知らなかった番頭に「お職業はやはり農で?」と尋ねられ、つい「そうです」と答えてしまったと『草津温泉』に著しています。
3度目は戦前。訪れる都度、交流を深めたといいます。また、名作『暗夜行路』の後半は草津の宿で書かれたことが分かっています。

38.富田常雄:活劇物を得意とし、多くの読者を惹きつけた大衆作家。

39.平井晩村:草津節の原形を作詩。人間味あふれた作風で時代を魅了。

「草津よいとこ 一度はお出で~」。有名な草津節の原形を作詩したのが晩村です。
紀行文『湯けむり』の中で「湯もみの拍子に合うやふな唄を…」と思い立ち、扇の白地に書き付けたのが「草津よいとこ里への土産 袖に湯花の香が残る」「草津よいとこ 白根の雪に 暑さ知らずの風が吹く」という二つの歌。大滝乃湯の庭に、その歌碑が建てられています。また、遺族のご好意により、晩村の遺品一式が町に寄贈され、温泉資料館の晩村コーナーに展示されています。

40.水野仙子:早すぎる死。花袋、有島らに才能を惜しまれた女流作家。

41.大町桂月:言葉を道具に、幅広い分野で活躍した、明治のエッセイスト。

42.河東碧梧桐:子規没後の、句界の巨星。新傾向俳句を唱え、自由な表現を追求。

43.長塚 節:茨城出身。農民の悲哀を描いた『土』は、代表作に。

44.若山牧水:旅に生き、酒とともに暮らした、歌壇の寵児。

草津を訪れた牧水は、吾妻川の渓谷や周囲の山並みに心酔し、『上州草津』などの紀行文、多くの詩歌に自然の美しさを表現しました。
紀行文の多くは時間湯の描写に割かれており、「湯もみの板の音がいよいよ激しく、その唄もつぎからつぎへとつづく。(中略)料理屋の三味線のさわぎがきこえ、あんまの笛もまじる。」と、夕暮れ時の草津の情景が描かれています。

45.小野湖山:激動の時代に作風を高めた漢詩人。政府の能吏、という横顔も。

46.横山大観:日本美術の優秀性を説き、日本画の近代化を推進。

大観は、同人の方2人とともに、大正4(1915)年、草津温泉を訪れています。
当時、日本美術院を再興させ、名実ともに画壇の中心的存在だった大観は、町の名士にも記念撮影をせがまれたようで、その時の写真は、六合村小雨にある「冬住みの里資料館」に大切に保存されています。

47.川端龍子:大胆な色彩、奔放な構成で知られた、日本画壇の巨匠。

48.犬養木堂:五・一五事件で殺害された護憲派の首相。「政界の策士」の異名も。

49.E.サトウ:日英両国を結び、維新史に名を残した、らつ腕外交官。

50.尾崎咢堂:憲政擁護運動を指揮。“憲政の神様”と称された孤高の政治家。

51.嘉納治五郎:近代柔道を考案。日本スポーツ界の発展に尽くす。